国家戦略?そんなものいらん。

再び博多。
とりあえずは、朝青龍おめでとう。


今から10年以上前になると思うが、テレビを見ている時に母が、「この口調は気になる」と言ったのを思い出した。それはいわゆる"半疑問口調"である。自らが喋っておきながら疑問系というあれである。なるほど気になるなぁと思っていたら、それからしばらくして、今度は「〜じゃないですか」が気になると言いだした。たしかにこれも気になる。そういった環境もあり大学で言語学を専攻した、というのは嘘だが、これらの口調は未だに気になる。特に「〜じゃないですか」と言われたときは、「初めて聞いたので知らん。」と言うようにしている。ついでに言うと、店員などが言う「〜でよろしかっでしょうか」も未だに気になる。過去形はおかしい。おそらく、過去形とする事で発話者ではなく相手(店員ではなくお客)の責任の下による行為にしようとしているのだと思われる。同じく「以上でご注文はおそろいですか?」という言葉も、最終的な確認の責任をお客にする事が目的のように感じられる。
何が言いたいかというと、半疑問口調といい、「〜じゃないですか」といい、件の店員の言葉といい、自分に責任を取ろうとする意識が感じられないと思う。会社などでもそうだ。何かと二重チェック、三重チェックでリスクを分散している。自分の仕事に責任を持たなくても、誰かがチェックしてくれるし、自分だけの責任にはならないのである。結果として、そのリスク分散とやらで責任の所在が不明確になり、なんだか訳の分からん世の中になってしまった。
責任を取れとは言わないが、少なくとも自分の事(自分と家族くらい)は責任を持つべきである。挙げ句の果てには、自分の健康まで他人のせいである。そんなやつは死んでしまえ。


つまらん事を熱く書いてしまったが、あくまでブログに書いた独り言であり、内容には一切責任を持ちません。