南都見聞録−その3−

ついに最終日。今日も早起きした。
ドトールで朝食を食べた後、奈良公園へ。


鹿がたくさんいる中を東大寺の南大門へ向かった。これはデカイと思っていたけど、さらにデカかった。その門の中で睨んでいる、運慶&快慶作の仁王が恐かった。
さて、東大寺と言えば、大仏でしょう。というわけで、まず大仏殿へ。いやぁ、これはマジでデカイ。世界最大の木造建築物らしいけど、宇宙最大といっても過言ではないと思う。しかも、今の大きさって、当初の三分の二って言うじゃないか!おいおい、どれだけ権力を持っていたんだ、聖武天皇よ。
大仏殿にはいると、おつとめ中であった。たくさんの僧侶が大仏を囲んでいた*1。おつとめ終了後、エライ僧*22人が大仏殿の外で、ひそひそと重要そうな話をしていた。観光客がいる所でしなくても良いんじゃない?
歩いて、戒壇院へ。こぢんまりとした建物だったけど、中には四天王が!特に廣目天が素晴らしい。あの眉間のしわと、睨みはちょっとやそっとじゃ醸し出せませんよ。
次に、二月堂。とっても眺めが良い。奈良の街を見渡せる。
三月堂(法華堂)。ここは素晴らしい。ここが東大寺の肝ですよ。中はまさにオールスター。四天王はシュッとしてるし*3、特に、センターに鎮座ましている不空羂索観音。これは完璧。コメントはない。
そして、四月堂。ここは、無料でしかもごく近くで、千手観音が見られる。ふくよかなお顔で、落ち着くねぇ。
そうなこんなで東大寺を廻ったが、まだまだ、正倉院とかいろいろあるし、永遠に未完ですよ。


さて、奈良公園を南下。手向山八幡宮→若草山→茶屋でわらびもち→春日大社と。途中、若草山のふもとの旅館群で、「あれ?ここって、中学校の修学旅行で泊まった宿では?」と思った。今となっては調べる術がないけど、妙に懐かしい。


奈良公園を今度は西へ向かい、国立博物館へ、。ここも仏教美術の宝庫である。新館は、来たるべく正倉院展の準備のためか休みだった。中には、中国の青銅器専門の部屋が2つあった。全く興味がないため、部屋の外で座って待っていた。
頭の中では、ローリングストーンズの「友を待つ」が流れていた。
ところで、博物館の中で、小学校低学年らしき童子が「うわっ、千手だ」と言っていたのがおもしろかった。


次も徒歩で、興福寺へ。
興福寺は、明治維新後の廃仏毀釈で無住となり、五重塔も売りに出されていたらしい。よくもここまで復興したものだと思った。
興福寺も、国宝特別公開というのを行っていた。五重塔、南円堂、三重塔*4、北円堂、仮金堂と廻った。しかし、全体的に、解説の子*5がウザかった。そして、国宝館で阿修羅を見た。最後に行った東金堂は、余計な解説もいないし、良かった。
まぁ、よく分からんけど、閉鎖的な観光地といった感じだ。


20分ばかり歩いて新薬師寺へ行った。
薬師如来を中心に、十二神将が取り囲んでいた。かっこいい。華麗。


歩いて近鉄奈良まで戻り、近鉄に乗り、薬師寺へ向かった。
ここも観光地であり、人が多かった。薬師如来のそばでは、ツアーで来たと思われる集団が、僧侶の説明を受けていた。よくよく聞いてみると、説明している僧侶は饒舌で話がうまい。練習してんの?


そして、今日、というか今回の旅の最後、唐招提寺へ。鑑真が建てたお寺である。ここには、素晴らしい千手観音がおられるのだが、金堂が工事中で拝観できなかった。ここでも、新宝蔵展が行われていた。たくさん仏像があったけど、全体的に、保存状態が良くなかった。


これですべての旅程が終わった。
再度、近鉄奈良に戻り、「おつかれさま」という意味で、酒とピザ。そして、近鉄に乗り、京都経由で山口へ帰った。


たくさんの仏像をみたが、仏像って、見る物なのか?拝む物ではないのか?どっちだ?


この3日間色々考えた。

  1. なんでたくさん仏像を作ったのか
  2. 仏像は見る物か?
  3. 仏像は拝む物じゃないのか?

答えは分からない。ディラン風に言うならば「風に舞っている」という感じかな。

フリーホイーリン・ボブ・ディラン

フリーホイーリン・ボブ・ディラン

*1:大仏殿って、他の寺社と違って撮影OKなんですね。デカイのは大仏だけじゃないんですね。

*2:紫の衣だったのでたぶんエライ人

*3:戒壇院と比べて

*4:1段目には登れた!

*5:たぶんバイト