国会に卍固め

金子賢が負けた。
まぁ、それは、どーでも良い。


いつの間にか、格闘技が市民権を得て、メジャーになった。
僕がプロレスにはまっていた頃、プロレスはマイナーであり。プロレスファンであることを宣言することは、恥ずかしかった気がする。一生懸命、市民権を得ようと奮闘していたアントニオ猪木の引退後、市民権を得たというのは何とも皮肉に思える。


同じような現象として、長渕剛ファンというのがある。
今でこそ、アニキであり、いろんなひとからリスペクトされているが、少し前まで、特に80年代後半から90年代後半の間は辛かった。
やくざというか、チンピラ思考に始まり、インド経験後の妙な着物のような服装・・・。何ともいやはや。


しかし、プロレスにしろ長渕剛にしろ、なんだか最近、牙を抜き取られてしまったように思える。なぜだろう?

おそらく、「追う」方から「追われる」方へなってしまったからだと思う。
この「追う」「追われる」は何にでも当てはまる。たとえば、小さな子供が、弟や妹ができることで、急に大人びるのも、「(親を)追う」立場から、「(弟や妹に)追われる」立場になるからだと思う。
一旦、「追われる」立場になったらずっとそのままかというと、そうでもなくて、弟に対しては「追われる」立場かもしれないが、やはり親に対しては「追う」立場である。
そして、その親も、子供に対しては、「追われる」立場かもしれないが、やはり親に対しては「追う」立場である。
そして、そのまた親も、子供に対しては、「追われる」立場かもしれないが、やはり親に対しては「追う」立場である・・・永遠に続く。
また、嫁と姑も同じで当てはまる。姑は嫁から違う意味で「追われる」こととなる。

この違う意味の「追われる」も考えると、非常に複雑になるため、この辺で終わります。