南都見聞録−その1−

ずっと寝かせに寝かせていた夏期休暇を取ることにした。よって、今日から5連休である。


2泊3日で南都:奈良*1へ向かった。実は、奈良旅行は春から計画していて、ここ最近は毎日のようにガイドブックを読み耽っていた。旅行に行くときは、だいたいやるんだけど、今回は11ページにおよぶ「旅行のしおり」を作成した。


早起きして朝8時過ぎの新幹線に乗った。いきなり新幹線でビール、朝食のタマゴサンド、さきいか・・・混沌としている。まるでカオス。そして、ウォークマンでボブ・ディランを聴きながら寝た。


新大阪から大阪を経由し「大和路快速」で奈良へ向かった。
奈良は中学校の修学旅行以来、13年振りである。あのとき見た大仏と、今回、大人の目で見る大仏、どちらが大きいのか(大きく心に響くのか)、それもテーマである。
で、天気は気になってはいたが、奈良に着くと霧雨程度の雨が降っていた。でも、傘を差すほどではなかったので、まぁ涼しくて良いじゃないかと思いつつ、まずチェックインのためホテルへ向かった。ホテルへ向かう途中、「開化天皇陵」を見つけた。しかし、普通の街中にあるなんて、すごいですな。


チェックイン後、近鉄で大和西大寺に向かった。レンタサイクルを利用して廻ることにした。*2
駅前のレンタサイクルにて自転車を借りたが、平日で暇だったのか、おじさんの話が長かった。ちなみに、関西地方の方言ではなかった。奈良の人ではないのだろうか?


まず、向かったのは秋篠寺。門をくぐって本堂へと向かったが、綺麗に掃除されていて気分がよい。おそらく修学旅行であろう、女子中学生の集団がいた*3。なんとも渋い旅行コースですな。
さて、パンフレットによると、法相宗真言宗、浄土宗と改宗したが、今はどこの宗派にも属していないらしい。本堂の中では、東洋のミューズと呼ばれる伎芸天が際だっていた。そもそもミューズを知らんので何ともいえないが・・。


次に、西大寺に向かった。その名の通り、東の東大寺と西の西大寺であり、創建当初は2つの五重塔があったらしい。真言律宗の総本山である。
四王堂の十一面観音は6メートルあるらしいが、どことなくポップでアニメチックであった。おそらく、大きく作っているため、細部の表現が粗くなっているからだと思われる。
本堂には、本尊の釈迦如来があった。清涼寺の釈迦如来を模したらしいが、たしかに見た感じ同じである。私の部屋には、清涼寺の釈迦如来の写真を置いているので、帰ったらもう一度見てみようと思った。


次は、平城宮。復元された朱雀門の下でボランティアの方の説明を受けた。小京都マニアで、山口に来たこともあるらしく「瑠璃光寺の五重塔もなかなか頑張っている」と言われていた。なるほど、あんたは本家という訳か。
ところで、朱雀門のある平城宮は、平城京の街だと思っていたけど、そうではなくて宮殿らしい。*4
ちなみに、朱雀門の復元費用は36億円らしい。また今復元中の大極殿は、200億円の税金が使われているらしい・・・。


次に向かったのは、法華寺。ここも綺麗なお寺である。
光明宗という宗派で、日本総国分尼寺にあたるらしい。
本尊は見られなかったが、白檀でできている御分身像を拝観することができた。


初日から結構詰め込んでいるが、次に海龍王寺に向かった。こぢんまりとした寺であったが、緑に囲まれていて非情に風情があった。旅行や留学の安全祈願のお寺とのことであり、ならば最初に来るべきではなかったかと思った。
他、五重小塔(五重塔のミニチュア版?)があった。建物の中に建物がある。不思議。国宝ということである。
ここも真言律宗


最後に不退寺へ。真言律宗のお寺で、別名を業平寺というらしい。その名の通り、在原業平が建立したお寺であり、本尊の観音菩薩も業平の作品とのこと。
いかにも関西人だなという話術を持ったお坊さんから説明を受けた。
ちょうど「在原業平画像御開扉日」だったとのことで、在原業平の画像が見られた。


夜は、ホテルの近くのお店で酒を飲んだ。牡蠣フライを食べた。もう牡蠣の季節である。先日も、ココイチで牡蠣フライカレーを食べた。良い季節になった。


初日に廻ったお寺は、天皇や皇后の勅願のお寺が多かったためか、菊の御紋がいたる所にあった。奈良には*5、既にたくさんお寺があるにも関わらず、時の権力者達は、次々とお寺を建立し、新たな仏像を作らせた。なぜか。そんなことを考えつつも、疲れのためか、気づいたら熟睡していた。

*1:北都:京都に対してこう言うらしい

*2:まぁ、廻ることにしたというか、廻る計画をたてていた、という方が正しいですな

*3:なんか汗臭かった・・・

*4:つまり、平城宮平城京だと思ってた

*5:京都も