物事の始まりである。
ただ、時というものは断片的に存在するわけではなく、全てが連続的に存在している。よって、大晦日12月31日の連続として、元旦1月1日が存在するわけである。つまり、終わった瞬間に始まっているというか、終わりイコール始まりと考えるべきかもしれない。結局、人間が思いを巡らしているのは、本当の現在ではなく、一瞬前の過去ではないかと思う。しかし、その過去と現在というのも、明確に切れ目があるわけではなく、互いに交錯している。日本語に明確な未来形が無い、とか言われるのも、さもありなんというわけだ。

2006年、2007年の大晦日の夜(2007年、2008年の元旦を迎えた時)は寝ていた。今年は、ちゃんと起きていた。ここ2年間は、どうもアクセルを踏んでも走っていない感じがあったが(そうでもない気もするけど)、今年は良いんじゃないかと思う。この「良いんじゃない」は、“ま、良いんじゃない?”と取ってもらえるとわかりやすい。簡単にいうと、人生は成るようにしか成らないので、仕方がないというわけですな。

おわり。