神奈備

兄貴の奥さんのお父さん(なんて言うの?)のパソコンの調子が悪いと言うので、見に行った。兄貴夫妻は出かけてていなかった。ぶっちゃけ、会話ははずまないですわなぁ。とほほ。


今日は阿知須の祭り、“十七夜祭”であった。年々衰退の一途を辿っているのは知っていたが、ぶっちゃけ引きました。出店ゼロ。今年は、開催も危ぶまれたらしいが、もう良いんじゃないか?「もう良い」と誰か言ってあげた方が良いと思う。
しかし、子供の頃は、この祭りが毎年待ち遠しかった。親戚も集まるし、前日から浮かれていたのを覚えている。そして母によく「調子に乗るな」と言われた。母は、調子に乗ることをひどく嫌う。調子に乗った人間ほど、愚かで滑稽なモノは無いというのである。良いことがあったからといって浮かれてはいけない、良いことの後には必ず悪いことがある。それに備えなければならないというのである。決して間違っていないし、僕もその教えを守っている。そんな感じだと、冷めてると言われてしまうんですけど。
話を祭りに戻す。阿知須町が無くなったときに、祭りも封印して良かったのではないだろうか。この祭りの主旨は、大漁祈願だったと思う。おそらく、漁業をメインの生業にしている人が減ったのも原因だと思う。そんなことを考えると、この田舎町でも時代は動いているし、歴史は刻まれているんだと思った。
そういえば、今は町が無くなったが、阿知須町が町制50周年を迎えたとき(たしか小学校4年生だったと思う)、タイムカプセルを埋めた。100周年で掘り起こしましょうとかいう話だった。それには、未来の自分に手紙書いた。詳細は覚えていないが、柄にもなく「平和な地球を願う」的な事を書いた記憶がある。当時からグローバルな視点を持っていたわけですな。
“過去の思い出掘り起こし”ついでに、小学校4年生の時の文集を開いてみた。そこには、全員の詩が載っていた。みんな楽しいことを書いていたが、僕は時間について書いていた。時間が過ぎていく事の虚無感と、それを止めることができない無力感について書いていた。嫌いじゃないけど、先生から見ると、ちょっと扱いにくい子供だったに違いない。また、将来の夢について書いていた。他の児童は、「警察官」とか「ケーキ屋さん(売るのが仕事であって、食べるのが仕事じゃないぞ!と教えてやりたい)」と書いていたが、僕は『勉強をがんばる』と多少ズレた事を書いていた。でも、これは間違ったことを書いていないと思う。ソクラテスも言っているが、自分の「無知」を知っている人でなければならないのである。だから、常に、一生勉強する。『エラい!』と言ってやりたい。

多少、横道に逸れて、とりとめの無く、少し冷静さを欠いた事を書いてしまった。


夜は、少し早めの花火大会。思ったよりも大勢の人が来ている。

でも、その前にイベントがある。昼に神社を出た御神輿が、沖に船で出た後、陸に戻ってきて、それを神社に納めるというイベント。僕は、なかなか好きなイベントでもある。しかし、なにやら警察官がきて、色々と話しておる。人が多いので、御輿は蛇行したり、回したりしないように、というわけだ。それじゃあ、つまんねだろ。

御輿その1。

御輿その2。

神社に納めた後の神事。

祭りのあと。

まぁ、花火は普通にきれいでした。